兄貴がどこからかパンピー彼女を捕まえてきたのはいつのことだったか。 今日は2人が付き合ってから初めて迎える5月26日だ。

「お前は兄ちゃんに何渡すの?」

家へ向かう道中、携帯をいじりながらさりげなく聞いてみる。兄貴の機嫌が下がるようなことをされると被弾するのは自分なのだ。変なものを渡されては困る。何も渡さないのはもちろん論外。 「あげないなんてことはないよな?」と圧をかけられているということに、このぽややんとした女は気づいているだろうか。

「内緒」

よく聞いてくれた、と言わんばかりに胸を張った、やけに自信のある「内緒」の返事。兄貴がいたなら「自信マンマンでカワイー」とか言っちゃうのかもしれないが、あいにく俺は兄貴じゃない。
根拠のない謎の自信に言いようのない不安しか湧かなかった。
例えば有名ケーキ店の箱だとか、イヴ・サンローランのショッパーでも手に持っていれば文句なんかなかった。その装備でも「その妙な自信は何だ」と一言くらいツッコミたくはなるが、まあいい。
今彼女の右手に握られているのは端っこにくしゃりと使用感のある、中高生御用達のお子ちゃま専用ランジェリーショップのロゴの入った紙袋。チラチラと見える中身はドンキに500円とかで売っていそうな謎にキラキラした変な紙にリボンを巻いた、ダサすぎるラッピング。 いろいろナシだ。
今時小学生でももうちょっとマトモなモン渡すぞ?
カリスマ相手にこれで挑む気なの、コイツ?
リボンなんか曲がって縦結びになってっけど?
本気?

「中身教えてくんね?」
「えー……」
「頼むよ、な?」
「うーん……」

うーんじゃねェ、早く言え。 ハッキリしない態度にイラついてくる。文句も言わずに笑顔を作って聞いてやっているのはコイツが兄貴の女だからだ。そうじゃなかったら「テメェふざけんなよ」を今日までに100万回は言っている。

「蘭くんに内緒にしてくれる?」
「おーおー、もちろん!」

助かった。もし最悪変なものでも、今なら何とか言いくるめて買い直させれば夜のパーティーには間に合う。
「で、何?」
「肥料」
「……なんて?」
「肥料」

ひりょう。この女は、そう言わなかったか。
ひりょうって、あの肥料か?
土いじりする時に使うヤツ。 ……ハ?

「もしかして竜胆くん、肥料知らない?」
「知ってるっつーの!」
「あ、良かった。じゃあ蘭くんも分かるよね」


ホッと胸を撫で下ろしながら、女がクソダサラッピングの入った紙袋の取っ手を大事そうに握った。こっちは何も安心できないんだけど、何ホッとしてんの? ここは知らないと答えるべきだったか。「俺も兄貴も肥料とか知らねーから」って言って買いなおさせれば良かった。マジ失敗した。 でもこのホケホケした女に肥料も分からないバカ扱いされんのもなんか嫌だ。

「没収」
「え!?なんで!?」
「こっちがなんでだわ。何?オマエふざけてんの?何でフツーにケーキとかにしねえの?」
「だって蘭くんはカリスマなんだよ?普通なんてダメじゃない?」
「ハア~?」

なんでそこまで考えることができて「肥料」になんだよ。

「普通じゃないケーキとかあんだろォ?」
「それは私のお小遣いで買える?」
「……手作りとかさー」
「そんなことしたら蘭くんお腹壊しちゃうよ」

何でこいつちょっと開き直ってんの?
「当たり前じゃん 笑」みたいなトーンで自分が劇物製造機だって自白すんな。

「もう金やっから今から俺の言う店でモンブラン買ってこい。兄貴にはそっち渡せ!」
「え、やだよ。せっかく頑張って選んだのに」
「そーいう自我出すのはもっとマトモなもん買ってからにしてくんね!?」
「失礼な。ちゃんとちょっと良い肥料にしたもん。オーガニックのやつなんだよ?」
「そーいうことじゃねーんだよな~」

だって肥料じゃん。ちょっとイイとか関係ねえから。
いいウンコと悪いウンコ、どっちもウンコなんだよ。
マジでコイツ、なんでカリスマの誕プレに肥料なんか選んだの?

「つべこべ言わねーでモンブラン買ってこい」
「やだよ竜胆くんが食べたいだけでしょ」
「テメーマジふざけんな」

俺がモンブラン食べたいワケねえじゃん。
つーか何。こいつ兄貴の好きな食いモン知らねーの?
彼女なのに???

「いーからモンブラン買ってこい!」
「命令しないでよ!竜胆くんのバカ!」
「ハア~?バカはテメェだろ!」
「ひどい!」

絶対モンブラン買いに行かないから、と変な頑固さを見せ始めたコイツに頭をガシガシと掻く。 メンドくせぇ。

「俺もついてくから。兄貴にケーキ買ってこうぜ」
「やだ。一人で行ってきて!モンブラン食べたいからって蘭くんダシにしないでよ!竜胆くんの食いしんぼ!」
「カッチーン!そーかよ!テメェがそのクソダサプレゼントで兄貴にフラれても俺知らねェから!」
「クソダサ?」
「どっからどー見てもクソダセーだろうが!土いじりしねー兄貴に肥料とか意味分かんねー」

ぷくく、と笑いながら言ってやる。
予想していた反論は返って来ず、彼女はじっと自分の持っている紙袋を見つめていた。

「クソ、ダサ……」
「お、おい、」

こいつがクソダサセンスの持ち主(無自覚タイプ)だということを忘れていた。100人中99人がクソダセェと言う代物でも、コイツにとってはチョーカッケェアイテムだったりする。
しかも厄介なことに、普段兄貴が「カワイー♡俺にはないセンスだわー」と褒めるような素振りを見せてきたせいで、放畜されたクソダサセンスは恐ろしいスピードで増長してしまっている。
俺に言われるまでコイツは、このクソダサラッピングされた物体のことを「どこに出しても恥ずかしくない、渾身の誕プレ」だと心の底から思っていたんだ。
……ヤベェことした。

ぼろり。
クソダサプレゼントを呆然と見下ろしていた彼女の目の縁に、大粒の雫が溜まっていく。

「アッ……アーーー、そうだよなー!俺が言い過ぎたわ!まじゴメンって!なっ!?」
「竜胆くん、私の誕プレ、ダサい?」
「イヤ〜、人それぞれだし??お前からだったら兄貴なんでも喜ぶんじゃね?大丈夫だって!!」
「……私、蘭くんの誕生日パーティー行かない」
「えっ!?」

ぐすっと目元を袖口で拭いながらとんでもないことを言い出した彼女に、声が裏返った。

「いや、兄貴もお前が来るのメッチャ楽しみにしてるし!?」
「だって蘭くんに渡せるプレゼント、ない」
「アー、ほら!何ちゃらのちょっとイイ肥料なんだろ!?」
「行かない。蘭くんにはお休みするって伝えといて」
「え、いや、ちょ、待っ……」

タッと駆け足で駅へ引き返そうとする彼女の腕を捕まえて引き留める。 ヤバイ。これでコイツが本当に兄貴の誕生日をすっぽかしたら。それを期に「もう会わない」なんてことになって、そのままずるずると別れるなんてなってしまったら。

「竜胆、テメェ何してんだ?」

そう。絶対こんな感じの低い声のマジギレトーンで言われて、リビングにパンイチで正座させられる。

「って、兄貴!?」
「おせーから来ちまったワ。で、」

お前は何してンの? その一言と視線だけで、ゾクっと一気にトリハダが立つ。
合った目を逸らしている間も、兄貴の視線が痛かった。
寝起きと変わらない機嫌の悪さに手が出るか、足が出るかと身を縮めていたが、兄貴はスッと俺の横を通り抜けて女の前に立った。

「蘭くん……」
「お前はホント、俺のこと焦らすの上手だよなァ」
「蘭くん、私パーティー行けない」
「どうして?俺楽しみに待ってたんだけど?」
「だって、蘭くんに渡せるプレゼント、ない」
「ソレは違うの?」
「だって、ダサいから……」

一瞬、兄貴の「後で覚えてろよ」と言いたいのが痛いほど伝わってくる視線が俺を射抜く。
いや、兄貴が甘やかすからじゃん?何でもかんでも「カワイーカワイー」褒めるから「ちょっとダサい」が「クソダサい」に進化したんじゃん?俺別に悪くなくね!?
なんて言ったらパンイチすら履かせてもらえるかあやしくなるから絶対言わねェけど。

「くれないの?」
「あげない。蘭くんには似合わないもん」
「そっかー。じゃあ別のモン貰っていい?」
「ダメ。蘭くんにあげられるもの、1個もない」
「ンなことねーよ」

兄貴が紙袋から覗いているダサラッピングのリボンをしゅるりと解き、鞭をしならせるようにピンと張った。
「リボンが欲しかったの?」
「まさか。プレゼントにはリボンが必要だろー?」
彼女の前で少し屈んだ兄貴が、細っちい首筋へネクタイを巻くようにリボンを通す。首を絞めて窒息死させない絶妙な緩さで、即席のチョーカーが出来上がった。

「はい、完成」
「蘭くん?」

ペットの首輪にも似たそれをつけた彼女は、困った風に兄貴を見上げた。 鈍いヤツ。わざわざパーティーに来てほしくて兄貴の方から出向くなんて、今まで1度もなかったのに。全身から「逃がさねえぞ」のオーラを出している兄貴の前でぽけっと間抜けヅラをしてられるコイツが分かんねぇ。メンタルが強いんだか、弱いんだか。
俺のため息なんか2人とも構わないまま、兄貴が彼女の手を取って口付けた。

「目の前に極上のプレゼントがいるんだけど、俺にくれない?」
「蘭くん……!」

かああっと一気に顔を赤くして、彼女がコクコクと忙しく首を動かした。

「言質取ーり♡ 早く帰ってパーティーしようぜ」
「うん!蘭くん大好き♡」
「俺も♡」

行かないだの何だのと駄々をこねていたのが嘘みたいに、締まりのない笑顔で彼女が兄貴の隣に並ぶ。「私たちラブラブです!」の雰囲気を醸して六本木の街を歩いていく2人に、マーライオンみたく砂糖を吐き出しそうになった。


2023_05_26